4月6日11時半ごろ門司港駅に到着。
ホームがなんとなく昔のような雰囲気が出ていた。
お昼からなのか利用客はそこそこ。
懸念されていた雨はまだ降っていない。
車止め付近の様子。
家庭菜園ではないけど、他の終着駅と比べたら、
随分華やかな感じだ。車止めの看板が異様に
デかかったのは少々驚きです。また向こう側の
車輪をみると東京駅の動輪の広場を思い出す。
そういえば写真撮っていると乗客に
「これ小倉行きますか??」
などと聞かれた。観光客なのかな?
俺も観光客だよ。でも得意気に
「全ての列車が行きますよ。」
などと言って愛想を浮かべる。
門司港駅前の様子。
これが夜になると可憐にライトアップされ、
噴水がやけに幻想な雰囲気をかもし出すみたいだ。
どことなく懐かしい、でも新しい町が門司港
ではないでしょうかね。
駅前には観光客用に人力車も待機している。
京都や鎌倉にも人力車が存在したが、ここでも
見られるとは正直思わなかった。市内観光へは
これを使ってもよいが、ちょっと恥ずかしいかも…。
一応1日500円のレンタサイクルもあるので
それでも十分見て回れる。
4月1日の日記を参照になればわかるが、
お土産品を今回旅のお供として連れてきた。
で、記念撮影なのだが…
どうもミスマッチのような気が…う〜む。
やはりハニワでないとインパクトがないかなぁ。
ちなみに、このおもちゃはネジを回すとカタカタと
前進する。
巌流島(船島)へ行くときの様子。
向こう側に見えるのが一日数回しか出航しない
巌流島行きの船。門司港駅から徒歩1分。
下関へ行く船と四国の松山へ向かう船がある。
乗船したときの乗客はひと家族と老人のみ。
昼だからか、曇りだからか、時期が時期なのか、
利用客が少ない気がした。でも船ではその分
ゆったり座れた。揺れが凄かったけどね…
巌流島(船島)に着くと入り口付近にご覧のような門が。
巌流島(船島)は無人島。ゴミは完全持ち帰り。
決闘のときは現在の面積に比べると1/6しかなかった。
その後、明治から埋め立て工事が進められ、
当時に比べて6倍の広さとなった。
ちなみにこの島の正式名称は「船島」
島が船に似ているということが由来。
おふれがき(島での注意事項)島は遊歩道が
完備されていて観光客が立ち入ることができるのは
島の右半分。船の乗り場から遊歩道を通って
島の一番南に行くには15分くらいかかる。
遊歩道を通って東を見ると関門橋が眺められる。
ところどころに植わっているのが松。なぜ松なのか
知らないが、狸も生息しているのは驚きだ。
泳いで渡って来た話があるが、一説によると、
小次郎の弟子が待っていたといわれる
「小次郎弟子侍(でしまつ)」から、弟子達が化けて
渡って来たかもしれないという話。ちなみに
狸は他を抜くといわれ、勝負には縁起のよい
動物として知られている。
この小さな神社は舟島神社。
佐々木巌流之碑。
碑文に「船島開鑿(かいさく)工事成功之際建立」
とある。明治43年(1910)10月31日に、
島の中央に建てられていたが、今は少し位置が
かわっている。碑は高さ120cm、幅65cm、
厚さ45cmの自然石で造られている。
現在は小次郎を偲ぶお参りしていく人がさい銭を
投入することもあるという。
多目的広場に落ちていたマツボックリを拾い、
旅のお供とのショット。場所が場所なだけに
なんだか違和感があるかもしれん…。ネジを巻き、
動かして、あたかもマツボックリを突っついているような
表現をしたのだが…う〜む、なんとも微妙ですなぁ。
武蔵はまず小次郎の頭を一撃。
小次郎は倒れて鼻血が出す。
トドメをさそうと武蔵が近寄ると小次郎から
横へのなぎ払いが炸裂。武蔵の服を少し
切ったが、すかさず武蔵は脇腹にトドメの
一撃をくりだし、勝負アリ。
この決闘にはこの2人のほか、検使・警護の侍・
医師が待機しており、厳粛な雰囲気の中で
両雄の闘いが行われた。
この石像は見た目以上にデカいうえ、妙に
躍動感がある。ちなみに小次郎の剣の持ち方が
独特だった…
決闘の場所をイメージして造られた白い砂浜。
浜辺には武蔵が乗ってきた舟も再現されている。
再現とはいえ、こんな舟で海に浮くのかと疑問…。
波により揺られて転覆しそうな感じがする。
アクリル板に、小次郎と武蔵の決闘の場面が
焼付けられている。武蔵は木刀で倒したと
いわれているが、実は武蔵が生涯闘った9割が
相手を撲殺している。つまり武蔵は小次郎との
闘いにあえて木刀…ではなく、はじめから自分の
ペースで闘いに挑んだようだ。撲殺というのだから、
よほど大きめの木を使いこなしていたのだろう。
だとすると、かなりの力の持ち主だとうかがえる。
TOP 4月4日 4月5日 巌流島 吉野ヶ里公園
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