予定より30分早くここ吉野ヶ里公園駅に到着。
駅舎が弥生時代の建物に似せてある。
駅から吉野ヶ里歴史公園まで徒歩15分ほど。
道が舗装されていて、観光客用の整備が進んでいる。
道中、田畑が広がりのどかな景色が堪能できる。
天気はかろうじてまだ雨は降っていない。
公園の入り口門で驚愕な事態が発生?!
なんと閉園時間が17時となっているのだ!この
時点で時間は16時30分。てっきり吉野ヶ里公園は
出入り自由の場所と思い、勘違いしてしまった!
大急ぎで中へ…!!
まず早歩きで5分先に南内郭という環壕と城柵、
物見やぐらなどによって厳重に守られている
広場に出る。一連の状況から吉野ヶ里の支配者層が
住んでいたのだと考えられている。画像の建物は
全て復元されているもの。建物の中にもは入れる。
夕日の光を浴びて旅のお供の古代散策というお題で
わざわざ夕方に着くように計画を立てたのだが、ご覧の
通り曇り…。しかも夕日のシルエットどころではなく、
夕方に閉園という致命的なミスをかましてしまった。
さて、この南内郭、入ってみて気付いたのだが、
建物ややぐらはすべて集落の中の外側(柵沿い)に
配置されている。集落の中心は大きめな広場。
てっきり建物を集落の中心に密集させているのかと
思ったのだがいささか勘違いしていたようだ。広場は
おそらく祭りなどの行事用に使うため広場を集落の
中心にしたのかも。わからんが…
上記の画像で出てくる家は堅穴住居と呼ばれる
もので、地面を掘り下げて作った半地下式の
住居になっている。時代や地域によって住居の
形が丸や長四角のもの、構造も2本柱や4本柱
など様々ある。
この吉野ヶ里公園は紀元3世紀の弥生時代を
復元している。つまり、建物の中で見られる皿や
道具は当時の時代を象徴している。

弥生時代は前・中・後期と時代の背景が変化する。
前期は紀元前3〜2世紀、吉野ヶ里の丘陵一帯に
分散的に「ムラ」が誕生する。やがて南側の一面には
環壕をもった集落が出現し、「ムラ」から「クニ」へと
発展する兆しが見えてくる。
物見櫓(やぐら)
敵の見張りや集落の威容を示すシンボル的な
役目を持つと考えられている高層の建物。
半円形に張り出した壕の内側にあるのは、
吉野ヶ里にだけしかない特色的なもの。

弥生時代中期、紀元前2世紀〜紀元1世紀。
丘陵の南側を一周する大きな外環壕が掘られる。
首長を葬る「墳丘墓」や、たくさんの「かめ棺墓地」
も見られる。集落の発展とともに、その防御も
厳重になってきていることから「争い」が激しく
なってきたことがうかがえる。
南内郭から北へ数分、北内郭に到着。
ここはちょっと他とは違うようだ。入り口が厳重過ぎる。
入り口に入ってもすぐ広場に出るのではなく
多少入り組んでいる。ここでは吉野ヶ里の集落に
おいても特に重要で神聖な場所とされており、
祭り事が行われた中心部だと考えられている。

弥生時代後期、紀元1〜3世紀。国内最大級の
環壕集落へと発展し、大規模なV字形の外環壕に
よって囲まれ、さらに特別な空間である2つの
内郭(北と南)をもつようになる。特に北では大型の
建物が登場し、吉野ヶ里の最盛期にあたる。
北内郭の中央の建物には神の言葉を授かる者
(画像)や吉野ヶ里周辺のムラの長と豪族のような
者らの集まり場となっている。現在でいうと政府に
あたる。弥生時代の髪型は2種類あり、女は後ろで
髪を結び、男は耳元に髪を結ぶ習慣があった。
画像のピンボケすいません…なんか怖いねぇ(汗)
北内郭の敷地内で中心にある吉野ヶ里で
一番デカイ建物。2階が豪族や首長が話し合う場。
そして3階が神の言葉を授かる者が。
北内郭と南内郭の間に位置するのが画像で
見える「中のムラ」。一見普通の住居っぽいが、
実は北内郭で行われる祭りや政治的儀礼に
使用する道具などが作られていた場所と
考えられている。
このくぼみの部分を環壕と呼ばれ、集落を外敵から
守る壕(ほり)。集落全体を守る大きな外壕と、
その内側を区画する内壕がある。外壕は総延長
2.5km、囲んでいる範囲は40ha、野球の
グラウンドが約30面もとれる広大なものとなっている。
深さは人がスッポリ入ってしまうほど。
ここの場所は“倉と市”と呼ばれており、広大な
市が開かれたり、市で取引される品々を保管
していた吉野ヶ里の国の交易の中心地と
考えられている。画像の建物は貯蔵庫。

さて、ここで小学校の社会科学習です。
なぜ柱の上に建物があるのでしょう??
物運ぶのに昇っていくの面倒だと思うが…。
答えはこちら⇒ネズミを入れさせないため。
(ちなみに柱の上にはネズミがよじ登って
これないようにネズミ返しの板がついている)
別の角度から見た倉と市の様子。
北や南の内郭に比べて建物の数が圧倒的に多い。
吉野ヶ里公園敷地内の地図を見ればわかるのだが、
この倉と市は水田などの食料作る区域と住居区の
真ん中に位置している。一応都市(ムラ)計画は
行き当たりばったりではなかったようだ。ちなみに
ここは環壕や柵などで全ては囲まれていなかった。
他の遺跡の事例を参考に復元した古代の水田。
初夏から秋にかけて赤米などを栽培していたと
されている。ちなみにこの水田の脇にはちゃんと
用水路が造られていたのは驚きだった。
この時点でもう17時過ぎて閉園となったので撤収。
画像は帰り際に撮った倉と市の様子。片付けしていた
係員も撤収し、辺りは一段と静かな雰囲気が漂い
はじめた…。けっこうこの感じは不気味に思った。
それは、現代の夜の住宅街を歩いている時の静けさは
にわかに人の気配があるからどうってことなかった。
しかしこの場所、イベント広場なのはわかっているのだが
空は明るい上、建物などがリアルなだけにみんな
どこいってしまったんだろうか…というような錯覚に
とらわれてしまう。まるで神隠しにあったかのように…。
こう歩いていると、なんかもののけ姫で出てくる
村のような感じがしないでもない。

さて、ここ吉野ヶ里では体験工房利用ができる。
●火おこし体験
●勾玉づくり
●土笛づくり
●ガラス玉づくり
勾玉以外は1時間以内で完成できる。この日は
きた時間帯が遅すぎたので体験できなかった。
時代が進むにつれ、ムラは進化していった。
その象徴ともいえるのが画像のくい。外敵から
集落を守るため、環壕沿いに数え切れないほどの
木を尖がらせたものが突き刺さっている。もはや
要塞ともいえるだろう。争いが激しくなった様子が
うかがえる。
公園を出てふりかえる…。
今回は明らかに計画ミスだった。30分でまわろうと
することになろうとは…じっくりと見物できなかった
のが残念。まさかここまで来てドラクエのタイムアタック
みたいなことをするとは夢にも思わなかった。おかげで
いい口実ができた。また吉野ヶ里を訪れるためのね。
事前に勉強すればもっと理解が増えるだろう。
また訪れるまでの課題が出来たよ。今度は
大分の温泉から由布を通って訪問してみようかのぅ。
TOP 4月4日 4月5日 巌流島 吉野ヶ里公園
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